冬月の幕間閑話86-白い死神-
私、本が好きでね。
純文学でも同人誌でも面白ければなんでも読むんだけど、そんな中でもやっぱり好きな作家さんはいるもので。
短編小説の帝王、星新一のショートショートといえばご存じの方多いんじゃないでしょうか。
昭和の小説シーンに衝撃を与えたといっても過言ではない、稀代の小説家。
1つの話が数ページで終わる超短編小説が売りで、そのたった数ページに読み手の胸ぐら掴んでぐっと引き寄せるかのような、暴力的なまでの魅力を詰め込ませる、紛うことなき天才です。
鬼籍に入って久しい現在も多くのファンを抱えるそんな小説家星新一ですが、
面白いですね。
溜息ついて悲嘆に暮れるところから「メモを読みかえす」の前を向くところまで一文になってるのが、らしさがすごく出てる気がします。
とてもシンプルで人間らしくて好きです。
どうも今回なに書けばいいか途方に暮れてる漢、ご存じばーらびの星新一になりたい、日曜の冬月でございます。
誰だよ次のメンテで高難易度来るつって前回のブログでホラ吹いたやつ!!!!!!
ぼくです。
それ当てにしてた結果、今まさに頭を抱えてるわけなんですけども、
あの星新一ですら頭抱えて歩き回ってたっていうんだから、私のようなミジンコ脳がネタ無しでもなんら不思議ではry…
とはいえ何もしてなかったわけでなくて、この1週間は↑の宣言通り素材p集めまくった!!
たくさんの素材pを収穫するとともに、ハルカ先生バーサーカー疑惑とこのさんの衝撃の事実が明らかになりました。
それと、
頭頂部だけ間違えちゃったイケメン(えみゅ)がいました。
これだけでは飽きてしまうのでたまにはギルドにいっちょ貢献すっかということで、
ちょっと迷宮!
みんないつの間にか進めてるので、500~600階を久々ソロで!
さっきみたらもう1000階いってた。たぶん進めてたのらってぃぺんぺんあたりだな。
やりおる。
今回はこんなところですね!!
…え?まだなんかあるだろって?
とはいえさすがにちょっとあれなので、超久しぶりに人物紹介書いてお茶を濁してゆこうと思います!
ここからトーラム関係ないので悪しからずー!
人物紹介いつぶりかと掘り返したら12月に書いたっきりだったよ!ごめんよ!
ごめんよって言うほど需要あるのか知らんけど書いてゆくよ!今回はこの方!!!
念の為言っておくが、犬じゃなくて人ね。
次日本人にするとか言ってた気がするけど全然違うわすまん。
CODとかPUBGみたいな、TPSやFPSのシューティングゲームが流行ってから、
狙撃が上手い人のことを写真の人物の名前を引き合いに褒めたり、何かとネタにされるようになったので知ってる人かなり多いでしょう。
シモ・ヘイへ。フィンランドの軍人で、ソ連から『白い死神』と恐れられたスナイパーである。
名前はよく聞くけど実際なにがすごいのか知らんって人もいると思うので、シモ・ヘイへの名が轟くことになった『冬戦争』に焦点を当てていこう。
元々はかなり腕の立つ猟師だったシモ・ヘイへだが、当時のフィンランドでは20歳になると兵役義務があり、彼もご多分に漏れず1925年、国防軍に入隊。
その後予備役(退役した一般人でありながら有事の際に軍人として招集される)となり、民間の防衛組織である『白衛軍』に所属する。
軍に務めていたといっても第一次世界大戦からこっち、内戦こそあれどフィンランドに大きな戦争はなかった。
が、火種はあった。事の発端はソ連がバルト三国(エストニア、ラトビア、リトアニア)に相互援助条約を結ばせたところから始まる。
ソ連(現ロシア)が結ばせた相互援助条約とは名ばかりで、要は
「国境を変更しろ。あとソ連の基地をお前んとこの国に置かせろ。それとソ連軍もそっちに駐留させろ。ついでに物資の援助もよろ」
こうである。
なんでソ連がそんなこと言い出したかというと、ドイツとソ連で「こっからここまでで勢力圏を分割しよーぜ」っていう秘密協定がなされた直後で、
ソ連は自分の勢力圏の地盤を固めたかった&ドイツの周りの主要地に楔をうって、来るべき大戦を見据えていた。
つまりソ連はいつかドイツも喰らうつもりだった。ていうかこの時代の大国はどこも世界を獲る気マンマンだった。
こんな理由でバルト三国に名ばかりの相互援助条約を結ばせたソ連だったが、
お察しの通り、全く同じ要求がフィンランドにも向けられた。
しかし、フィンランドはこれをはっきりと突っぱねる。
フィンランド「寝言は寝て言え」
さてじゃあどうしたものかとソ連の指導者スターリンは、一国の長あるまじき暴挙に出る。
自軍に砲撃し、それをフィンランドのせいにして戦争を始めたのだ。
めちゃくちゃである。スターリンにしてみれば、戦争の大義名分が作れればでまかせでもこじつけでも何でもよかった。
とはいえ誰がどう見ても嘘っぱちの侵略行為なわけで、さすがに非難されまくって国際連盟から追放されたソ連だったが、
フィンランドに対する侵攻には何ら影響は出ない。
※ソ連のフィンランド侵攻を止めることを考えた時、他国にしてみれば大国ソ連を相手取るデメリットがでかすぎる。つまりどの国も自国の軍を動かしてまで止めるメリットがないのである。
かくしてソ連が侵攻し、フィンランドが防衛する形となった『冬戦争』が始まった。
当初スターリンの読みでは「武力行使すればフィンランド如きすぐ落とせるだろう」この程度だった。
現に圧倒的な物量で押し切るべく、ソ連はこの戦争に45万人を投入。対するフィンランド軍は16万人である。
数でこそ3倍の差(それでもやべぇ…)だが、何より絶望的だったのは装備だ。
フィンランド軍がこの戦争に投入できたのは戦車30両、航空機130機。
対するソ連。戦車2380両、航空機670機である。
あかん………
人数も装備も圧倒的な差で、フィンランドはもはや蹂躙されるのを待つばかりと思われたが、
フィンランドには、ばーらびの恥将とは似ても似つかない、正真正銘の知将が存在した。
カール·グスタフ·エーミル·マンネルヘイム将軍である。
シモ・ヘイへと思った??
彼の出番はもうちょい後だ。ちょっと待ってくれ。
第一次世界大戦やフィンランド内戦を経験してきた叩き上げの猛将で、此度の冬戦争では最高指揮官を務めていた。
1939年、ソ連の空爆を皮切りに始まった冬戦争だがマンネルヘイム将軍が軍に飛ばした最初の命令は、
「全軍撤退」
逃げよう。無理。
下がりながらの防衛戦などではない、ほんの少しの遅延戦闘を混ぜつつ、文字通りの撤退である。
これによりソ連軍は苦もなくフィンランドを侵攻。主要都市をどんどん落としてゆく。
マンネルヘイム将軍は決してフィンランド軍を戦わせず、撤退を繰り返したことにより国の深いところまでソ連の侵入を許すことになる。
ソ連の指導者スターリンは概ね正しい。
戦争で勝つには物量で上回るのが王道かつ定石で、それをひっくり返すのは非常に稀だからこそ、奇跡の大逆転は例外なく歴史に残るのだ。
スターリンのミスといえば「すぐ終わる」と初めからタカをくくってたことだろう。
マイナス45度の世界。フィンランド特有の大寒波である。
マンネルヘイム将軍は撤退を繰り返しながらこれを待っていた。
ここはフィンランド。極寒の大自然と共に生きてきたフィンランド人は、理解度も、順応度も、ソ連軍のそれとはケタが違う。
こうなっては戦車や航空機といった高機動兵器は全く意味を為さない。
仕方なく立ち往生を余儀なくされたソ連は、寒波が過ぎ、あたり一面分厚い雪の世界に覆われた頃、
フィンランド軍を見失った。
どういうことか?どうもこうもない、そのままである。
フィンランドの兵士達は、1人残らず忽然と姿を消した。
そしてここからの戦闘は、ソ連軍にとって悪夢以外の何者でもなかっただろう。
フィンランド軍は装備全てに白い迷彩を施していた。
数日で侵略が完了すると踏んでいたソ連軍は、そもそも防寒装備すら満足に揃えていない。
機動兵器は動かず、敵地のど真ん中で見えない敵からの狙撃砲撃にさらされる形である。
当初ソ連軍が行っていたのは、戦闘ではなく『狩り』である。
ひたすら逃げるフィンランド軍の尻をつついて追い立てるだけ。さぞ楽だったことだろう。
たった一度、たった一夜の大寒波で立場が逆転した。
雪に溶け込んだフィンランド軍にとって、雪原でのソ連軍は逃げ惑うキツネを狩るに等しい。
フィンランド軍は用意していたスキー板で素早い移動を繰り返し、数十人で数万人の敵を囲み撃ちする『モッティ戦術』という戦闘法を駆使した。
これによって万を超える敵に囲まれたと勘違いしたソ連軍は、満足な装備もないままフィンランドの深い森を逃げ回って倒れていく。
ソ連軍の死者、その大多数は戦闘によるものではなく『凍死』だった。
『敵から見えない』というのは戦闘において何よりも絶大なアドバンテージなのである。
さて一気に形成逆転、フィンランド軍の勝利間違いなしかと思えるこの冬戦争。
いくらなんでもそう簡単に物量の差は覆らない。
大局を見ればフィンランド軍が大きく盛り返したが、局所的に厳しい戦いを強いられているところがあった。
お待たせしました、シモ・ヘイへの登場です。
シモ・ヘイへの任務はコッラー川でソ連軍を迎え撃ち、ここを死守すること。
突破しようと進軍してきたソ連兵は約4000人。
対するフィンランド軍
32人。
ケタ間違えてるわけじゃない。大丈夫。
ガチのマジでシモ・ヘイへ含め32人。
なんでそれしかいなかったのか?
川の要所に部隊を配備したら32人しか回せなかったからだよ!!!
泣き言いってももはや32人で4000人を止めなきゃいかんわけで、さあどうしましょう。
シモ・ヘイへ達がとった作戦はこうだ。
丘に陣取って迎え撃つ。
いやもう普通に迎え撃った。普通に。
結果から言ってしまうと、
32人のフィンランド兵達は、終戦まで4000人のソ連軍を撃退し続けた。
全員が一騎当千の凄腕スナイパーなんだが、その中でも神がかり的な働きをみせたのがシモ・ヘイへだ。
彼の特筆すべきはなんといっても射撃の精度とスピードである。
300m以内ならほぼ100%ヘッドショットを決め、その最大射程は450m。
さらに1分間で16人撃ち抜いた記録も残っており、極めつけは
その全てをスコープ無しで行った。
シューティングゲームやったことない人はいまいちピンとこないかもしれないが、想像してみてくれ。
裸眼で300m先のサッカーボールを百発百中撃ち抜けるか?
むりむり。
シモ・ヘイへがスコープをつけなかった理由は2つ。
スコープをつけると猟師時代の姿勢が崩れてしまい、それを嫌がった。
もう1つは、雪原で照り返した陽の光がスコープに反射するのを避ける為だ。
実際、シモ・ヘイへは敵のスコープの反射によって何人も敵兵を見つけている。
そしてスナイプ能力ばかり取り上げられがちだが、シモ・ヘイへはマシンガンの扱いも一級品で、運良く丘に近づけたソ連兵は漏れなく蜂の巣にされていた。
終戦が近づいたころには、たった32人で守っていた丘はソ連兵に『殺戮の丘』と呼ばれ、ソ連兵の間で「コッラー川付近は死亡率150%」と囁かれていた。
※狙撃での死亡率100%。寒さで凍死する確率50%。合わせて150%の意らしい。
そんなシモ・ヘイへの逸話があまりにも多すぎるので、ちょっと抜粋して箇条書きにする。
・シモ・ヘイへがいる林に足を踏み入れた小隊が1時間で全滅。
・戦車と合流すれば安全だろうと駆け寄ったら、シモ・ヘイへがすでに戦車長を狙撃済みだった。
・真夜中の野営テントからトイレに行くまでの10mでヘッドショットされた。
・シモ・ヘイへが倒した敵の弾を拾おうと丘から顔を出したら、撃たれると勘違いしたソ連兵が全力で逃げた。
覇王色かよ……
そんなシモ・ヘイへは終戦間際、左下顎に銃弾を受けてしまい、離脱を余儀なくされた。
シモ・ヘイへの戦果は狙撃数542名。スナイパー史上世界最高記録であり、これにマシンガンでの射殺数は含まれていない。
※全て含めると800名を超える。
残ったフィンランド兵が終戦までコッラー川を守り抜き、たった32人で4000人を撃退した伝説が歴史に刻まれることとなった。
この冬戦争の落としどころとしては、ソ連がかなり厳しい内容の講和条約をフィンランドに提示し、
物資の消耗、兵達の疲弊、さらにはスウェーデンがフィンランドに支援軍を派遣しないことを公式発表したのがトドメとなり、フィンランドはこの講和条約を飲まざるを得なかった。
結果的に、フィンランドは国土の約10分の1を失う形となった。
この戦争における両国の死者数については、フィンランドが約2万7000人。
対するソ連軍、20万人以上である。
この理不尽な戦争によってフィンランドは多くを失ったが、圧倒的無勢で講和まで持ち込んだのは紛れもなくフィンランド軍の功績だ。
※『講和』とは戦争を完全に終結させる際に行うもので、ソ連軍は当初フィンランドを侵略、つまりフィンランドの全てを奪い取るつもりだった。
『講和』によってソ連はフィンランド侵略を事実上諦めざるを得なくなり、フィンランドは国の存続を獲得したことになる。
そしてこの戦争におけるシモ・ヘイへの功績は凄まじく、第1級十字褒章を受勲し、兵長から少尉まで超異例の5階級特進を得た。
それから彼は戦場に戻ることなく、猟師兼猟犬ブリーダーとして余生を過ごし、
2002年4月1日、御歳96歳に老衰でこの世を去った。
普段から非常に寡黙であり、口数の少ないことで知られるシモ・ヘイへだが、
そんな彼には珍しい、同僚に対するユニークな、しかし彼らしい返しがとても印象に残っている。
女性の写真を指して「その娘を嫁にもらったらどうだ?」と、同僚がシモ・ヘイへをからかった時だ。
これに対し、シモ・ヘイへは愛銃M28を前に突き出してこう言った。
「嫁ならもういるよ。二人ももらってどうするんだ?」
おしまい。
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