冬月の幕間閑話55‐ナイチンゲール‐




今回こそは朝投稿に間に合わせるべく、





PCの前に座り、撮り溜めた(気がした)スクショの数々に目をやる。







ギャラリー【2枚】








どうしよう。






どうもご存じばーらびのどうしよう、日曜の冬月でございます。












ブログ1年経ってやっとサムネ映えを意識し出すわたくしですが、




ハロウィン復刻が始まったことで、低迷していたプレイヤーのモチベも若干活気が戻ってきたような気がします。





その前にとりあえずまだまだペット()








ギルパテでスクルーダアルテ回したりなんだりして、育ててたペットはほぼ完成間近でして、




レベリングあと少し、それと最終合成のスキルガチャでLv2を引く不憫属性を発揮してしまったので、




Lv9まで上げたら後は連れ回しながら気長にやろうと思います_| ̄|○、;'.・号泣






それだけじゃあまりにも味気ない一週間なので、




せっかくなのでザースベリハへ!









3種類の仮装服がないと限定装備を作るためのハロウィンスターが落ちないので注意!

去年の残ってた←




しかし、こんなやりにくかったっけ(;;゚;3;゚;;)??





↑のえるくんはポータル付近で睡眠喰らってもれなく退場されてますね…




床だらけでなにがなんだか…




そういえば去年は壁ばっかりやってた気がする()




V壁でサンク張ってヘイトとってる感じだったような??




破壊必須なので、開幕コンボに激情の舞を入れて破壊してたと思います。たしか。




やっとペット落ち着くし、今週はザース連戦したい!ハロウィンスター集めたい!




イベ装備のマノレスカテ集めとくんだー(๑ ิټ ิ)ヘヘッ




両手のクロスエスパーダもかっこいいと思うんだけど、あんまり見かけない…




人気ないのかな…









左からえるくんぼくふぇみんぶるー!





火力は何がやりやすいんだろう??




弓、槍、片手、刀はやってみました!





全部やりにくかったです!!






やり方、待ってます!()














さて、これだけじゃちと短いなということで、




こんな時のために始めた世界の色んな人紹介コーナー(☝ ˘ω˘)☝ふぅー!!





第一回は幕間閑話52で紹介したけども、




2人目!今回は誰もが知ってる偉人でございます!





ちなみに超長いです!あと真面目です!先に言っときます!






すいませんでした!!!┏○┓

















フローレンス・ナイチンゲール。言わずと知れた看護の母である。





ちなみに今回これタイトル。長いから。





みんな知ってる人物だろう。その略歴は何から書こうか悩むほど伝説だらけなんだが、





まず彼女、超のつく上流貴族の生まれである。

↑ここ大事。




スーパーお金持ちである。





さらには、当時の貴族女性には珍しく語学から哲学、経済学、数学等、高度な教育を施されていた。

当時の貴族女性は早く嫁いで夫に仕えれば良し的な風潮だった。




それはそれは紛うことなき天才で、幼くしてそれぞれの専門家と議論を交わせるほどだった。あと5ヶ国語喋れた。





さらに、初めに言っておくと彼女は『神の声』を聞いている。その生涯で計4回。




いわゆる神託というやつだろう。何を隠そう彼女が看護の道へ舵を取ったのも、この神託に従った結果である。





神はまずこう言ったそうだ。






「私の所に来て奉仕しなさい」






神…やべーやつかもしれん……




それはともかくこれを聞いた彼女は数年後、『奉仕』の解答を病気や怪我をした人の世話に見い出す。




思うに「私の所へ来て奉仕しなさい」という文言を、「私の側に立って人々に奉仕しなさい」と解釈したのではないだろうか。

わからんけど。





思い立った彼女は当時非常に珍しい看護師のようなものの育成を行う専門機関で医療のあれこれを学び、





さらに数年後、知り合いだった軍務大臣から戦地での看護活動を依頼され、これを快諾した彼女は40名弱のボランティアによる女性団体を組織し、前線の野戦病院へ出兵する。





ロシアがトルコを侵略せんとした、いわゆるクリミア戦争。そしてこれが





彼女の生涯における伝説の始まりである。






当時の戦争にまつわる死者というのは、戦死者よりも病死者の方が圧倒的に多かった。





劣悪な衛生環境による感染症が主な原因である。




現地に到着したナイチンゲール一行が見た光景もそれはひどいはもので、さっそく改善に取り掛かろうとした彼女だったが、





早々、彼女たちはその活動の一切を禁じられる。




どんな環境でも取り仕切る人がいるわけで、表向きは「許可がないから」ということだったが、




とどのつまり「よそ者が余計なことすんな」だ。




禁じられては仕方ないので彼女達はしぶしぶ帰る……





のではなく、トイレ掃除を始める。





「トイレ掃除の管轄ないからいいでしょ?」が彼女の言い分だ。




大人とは、子供に増して子供のような屁理屈を飛ばし合う。昔も今も変わらない。




さすがに「トイレ掃除すんな」とは言えない軍医長官もこれには目をつむり、掃除を足掛かりに病院の従事者や患者との交流を深めていった彼女だが、




それと同時にもう一つ、クリティカル狙いの手を打っていた。




とある人物に手紙を送っていたのである。





返ってきた手紙を軍医長官に読ませたところ、彼はそれ以降ナイチンゲールに対して何も言えなくなった。




ナイチンゲールが書いた手紙の内容は、





「私達がこの病院で活動できるよう取り計らってほしい」





送り先はこの人。



































頭に冠なんか乗せちゃってるこの方。





英国第六代女王ヴィクトリアその人である。







文字通りの王手である。




ナイチンゲールは女王に直接書簡を送っていたのだ。




そりゃ長官もおったまげるわけだが、




そもそも女王に書簡、しかも頼み事をできるほどの位を持つ人物など、限られてるどころの話ではない。




ナイチンゲールの貴族としての地位は、つまりそういうものだった。




これにより彼女たちは活動を許可される。っていうかほぼこの病院を掌握する。




さて、ここからが彼女達の仕事だ。ナイチンゲールは掃除ではなく看護の為に来た。




当初この野戦病院での死亡率は実に40%。




その大半を占めていたのが感染症、そして『自死』である。




満足な物資のない状況で、苦痛やストレスに耐えられなくなるものが多発した。




これを鑑みて、彼女はまず一つ、ルールを作った。

















ナイチンゲール「死ぬの禁止な。」





何言ってんだと思うかもしれないが、マジである。




彼女はまず「死んだほうがマシ」という考えをなくすため、自分の許可なく死ぬことを禁止した。




深刻な物資不足により当然麻酔などもない為、大抵は手術の際に「殺してくれ」と懇願される。




しかし、彼女は認めない。




それの善し悪しはともかく、どれだけ歪んだ表情で切望されても、決して治療をやめなかった。




ナイチンゲールが24時間寝ずに働きづめだったという話は有名だが、




誇張でもなんでもなく全くその通りだったようで、この戦争での無理がたたって彼女はかなり体を壊し、後々に渡ってそれが響いている。




ちなみに彼女は異変があれば昼夜問わずすぐ駆けつけられるよう、各患者の枕元にベルを置いた。




これが世界初のナースコールである。




そして軍の首脳陣を黙らせるために、病院における死亡率の低下を、数学を用いてオリジナルのグラフによる視覚化を行った。




これが世界初の円グラフである。





天才。





そして彼女は、患者に死を考えさせないために何千冊の本を差し入れた。




自費で。




だが識字率の低さゆえ字が読めない者が続出したため、病院内に学校を作り文字を教えた。




それだけではなくチェスも教え、フットボールクラブも作った。




そのころには患者達の間で「たとえ死んでても彼女の前では生きていなければならない」という謎のルールが出来上がる。




畏怖ではなく、彼女に対する畏敬の念に起因するものである。





このような意識改革の効果は絶大で、死亡率は大幅に減っていった。




それに比例して、増えすぎた患者に対しての物資不足が深刻を極めつつあった。




決してないがしろにされていたわけではなく、イギリスの補給連絡網が完全に崩壊していたせいである。




こればっかりは仕方ない。仕方ないので







自分で買ってきた。







ほら、待ってても来ないし。買ってきた。




自費。





しかしそうなってくると今度は医師の数も全然足りない。





このときすでに患者は2万人に達していたらしい。





こればっかりは仕方ない。仕方ないので






自分で雇った。







ほら、足りないから医師。雇った。




自費。





ていうかそもそもそんなに患者いたら空床もないわけで。





ベッドが全然足りない。




さすがの彼女もこればっかりは仕方ない。仕方ないので







もういっこ病院建てた。






…………自費。





ナイチンゲール「病院奢るわ」






そしてわたくし、ここがいちばんびっくりするんだけども、




彼女は政府に働きかけて衛生管理委員会てきなものを組織し、




病院の下水処理や害虫駆除を徹底的に行わせるんだけど、




これら全て、衛生管理を徹底して細菌による感染症を防ぐ目論見があっての指示。だけど




この時代に細菌という概念はない()





「不衛生が病に繋がる」なんていう発想自体、信じ難い考え方なのである。




ただとにかく衛生管理を徹底した彼女のムーヴをみるに、病気との関連性に確信を持っていたのは間違いない。




こうした働きの数々で、赴任当初40%あった死亡率が、




たった半年ほどで、なんと5%以下まで減らすことに成功する。

しゅごい。。。




戦争が終わった後はイギリスで医療改革に従事し、




自身の考案した円グラフを使いまくってあらゆる政治家を黙らせ、




さらには女王との面会の際に、軍の内情を猛烈に批判。

ナイチンゲール「あいつら腐ってますよ」





官僚を辞任に追いやりまくる。




貴族としての知名度に彼女自身の功績も加わり、フローレンス・ナイチンゲールの名はそれは大層なものとなっていて、




ナイチンゲール基金と呼ばれる寄付金が彼女のもとに集まるようになる。




彼女なら世のために使ってくれるというイギリス国民からの信頼ゆえだろう。




その基金で看護学校や病院を建てまくり、看護師の指導から建物の構造まで全て自分で発案。夜はとにかく本を書く。





その全てが現在まで使われてる。





イギリスでの騎士団勲章であるメリット勲章を女性としては初めて授与した彼女は、





よく言われる『慈愛に溢れた聖母』というよりも、数学的な思考を持ったフェミニストだったのではないかと思う。





祈りを捧げて健勝を願う宗教的な考え方がまだ主流だった当時、




衛生環境を改善すれば病は治る、なんて異端以外の何者でもないだろう。




まして、貴族の女性が働くなんてとんでもない時代に。





看護というものはナイチンゲールが作った。




そんなナイチンゲールは、後にこう述べている。










「他に良いものがなかったので、その言葉を『看護』と言う」









おしまい。




















これ大丈夫?滝汗





やばくない?このブログだめじゃない?汗






もしかしてこれ……





ナイチンゲールのブログじゃない?汗汗






書き始めたらこれも書こうあれも書こうってなって……





長くなっちゃった(´>∀<`)ゝエヘ






しかもこう、偉人すぎてあんまりツッコめない。

なぜチョイス()





怒られる前に終わります!!

ありがとうございました!!_|\○_





それでは次回!!まだ読んでくれる人がいることを祈りつつ()






どうかご自愛なされますよう。

BAR Rabbit

トーラムオンライン ギルドBAR Rabbit のブログ

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